【コラム】「愚問」と罵る森会長と「自主規制」するマスコミ記者の「不都合な真実」

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(森組織委会長(右)と歓談するATRのエド・フーラ編集長(左)、その間に取り入る組織委の小野日子スポークスマン(中) 橋本大周撮影)

(ATR Japan)8月3日、リオデジャネイロ市内で開かれた2020年東京五輪パラリンピック組織委員会の記者会見で、ATR Japanの橋本大周記者が森喜朗会長に、舛添要一都知事と遠藤利明五輪担当相が東京五輪準備の旗振り役から外れた影響について質問した。すると森会長はその場で怒り顕わにしながら、「オール・ジャパン体制」という無責任体制の持論を展開し、「もういいね、だんだん愚問になっているから」と会見を打ち切った。
2020年東京五輪パラ大会準備が迷走する中、大会予算が2兆円を超すと試算されるなど、知らぬ間に国民負担を膨張させたその責任者の一人を質す、しごく当然の質問だ。また、迷走混迷するリオ五輪運営の現場だからこそ、この質問はリアリティを持つ。
ここで、残念な出来事が引き続き起きた。会見に出席していた日本のマスコミ記者は、このスポーツ界の権力者の暴言に対して、この真意を質したり、批判的な態度を見せたりすることはなかった。日本のマスコミの自主規制が、リオで行われたグローバルに開かれたIOC総会の傍らで、東京五輪組織委の記者会見という村社会の中で行われたのだ。
しかも、あろうことかこの会見後、組織委の報道担当が「(ATR記者に)最後当てなければよかった。当てるか迷ったんだが」と憤慨し、ある日本のマスコミ記者が首肯しているその現場に、ATR記者本人が偶然居合わせてしまった。まあ、このやりとりを良く解釈すれば、森会長の失言を懸念した結果とも受け止められるのだが。
東京五輪組織委の中にメディア委員会という助言組織がある。「大会を成功に導くための諸課題についてメディアの視点からアドバイスや検討をする」として、2014年9月に組織委理事会で承認されて設置された。委員長にフジ・メディア・ホールディングスの日枝久代表取締役会長、副委員長に共同通信の石川聡相談役をはじめ、朝日、毎日、読売、日経、産経、共同、時事や在京キー局のスポーツ担当幹部ら計36人で構成する。
先のマスコミ記者は長年、国際オリンピック委員会(IOC)や五輪大会の取材で、「五輪レガシー」をテーマに、東京五輪招致の過程を繊細に綴った著書もある。このメディア会委員やスポーツ庁のスポーツ審議会委員なども兼任している、五輪取材のベテランだ。
筆者はメディア委員会発足の記者会見で、この委員会委員のジャーナリストとしての独立性について質したが、組織委の森会長は「どこが問題なのですか」と不快感をあらわにした。出席した他のマスコミ記者がこれを質すことはなかった。ATRがこれら一連の出来事を報じると、これ以降組織委から出入り禁止処分をくらった。一方、この委員会の存在を報じるこれら国内のメディアはほとんど無かった。
五輪ジャーナリストの大きな役目として、五輪という公共財産の健全な維持発展を見守り、それが権力によって理不尽な介入されないように監視することがある。これが権力側に取り込まれてしまっては、もはやその市民社会から負託された重役を果たすことは不可能だ。
ジャーナリストが「審議会」や「委員会」といった権力側の用意した蜜の味がする権威的な地位に無自覚にも取り込まれ、会議では権力側が用意した結論ありきの無責任な議論を繰り返し、いつの間にやら「ウォッチ・ドッグ」から無節操な「権力の犬」に成り下がってしまうことが多々ある。
1996年のアトランタ五輪以来、取材を重ねてきた筆者にとって、「オリンピック」の表の顔は世界最高峰のアスリートが集う平和の祭典だ。これが錦の御旗となり「オリンピック」を批判しにくい雰囲気が醸成される。そこで、マスコミを含めた「オール・ジャパン体制」といった責任の所在が不透明な大政翼賛的なシステムが形作られる。
この構図の中で、歯止めのかからない無駄な公共事業がまかり通る。取り込まれたマスコミが組織委を批判するのは難しいし、大会後に組織委はじき解散してしまうため、オリンピックにまつわるすべての問題がうやむやになっていく。その挙げ句、莫大な借金というオリンピックの「負のレガシー」がその国民に残されてしまう。だからこそ、日本のマスコミは組織委との距離を考え直す必要がある。(小田光康)